2016年8月5日金曜日

北スペイン・ポルトガル旅行記(14)ブサコ宮殿ホテル Palace Hotel do Bussaco

6月11日、コインブラの後は、
コインブラから北へ約30Kmのブサコ国立森林公園に向かいました。
その広大な森の中に建っているブサコ宮殿ホテルがこの日の宿泊地です。

ホテルには夕方7時半に到着しましたが、まだ明るく、
夕食までホテルの周囲を散歩しました。

パレス・ホテルの名にふさわしい「ブサコ宮殿ホテル」
・・庭から見た外観 2016.6.12 午後7時41分


ブサコ宮殿ホテル Palace Hotel do Bussaco は
かつてカルメル派の修道院があったこの土地に、王家が建てた離宮でした。
それを1888年から1907年にかけて改修し、
現在五つ星のホテルとなりました。

テラス

エントランスの手前には綺麗なアズレージョが飾られたテラスが広がっています。

美しいテラス

テラスを飾るアズレージョは
ポルトガルの詩人たちによる叙事詩や戯曲などから題材を得たロマンティシズム溢れるものです。

テラスのアズレージョ


テラスのアズレージョ

テラスを通り過ぎ、
小さなエントランスに向かいますが、ここでもアズレージョが出迎えてくれます。

エントランス

宮殿ホテルはマヌエル様式の装飾が見事です。
大航海時代を象徴するポルトガル独特のマヌエル様式は、
その時代を反映するようにアジアやアフリカの珍しい植物や
船のロープ、地球儀などがモチーフとなっています。

ロビー

ロビーや階段を飾るアズレージョは
ポルトのサン・ベント駅のアズレージョを描いた
ジョルジェ・コラソ(1868年ー1942年)によるものです。

ロビーにはナポレオン軍に勝利したブサコの戦いが描かれています。

ロビーのアズレージョ

アズレージョについてはサン・ベント駅の旅行記で触れましたが、
その後の大まかな流れを書いてみたいと思います。

16世紀中頃にイタリア人芸術家たちによって
マジョリカ技法がポルトガルにも広まったことや、
スペインによるポルトガルの併合と再独立、
植民地ブラジルの金鉱からの莫大な富、ブラジルの独立など、
社会の状態や財政の大きな変化がアズレージョにも影響し、
そのモチーフや色、製造方法を変えてきました。



19世紀、急速に需要の高まったアズレージョは
工場で版画風に機械的に作られ、多くの建物に使用されました。

しかし、それに対抗するかのように
タイル職人たちの技術はより磨きがかかり、
決して工業製品に偏ることなく、ハンドペイントを重んじる気持ちを持ち続けました。

アズレージョは
ポルトガル人の美的センス、文化的関心の表れでしたので、
手工芸品として常に受け継がれ、
そのクオリティーは画家の腕にかかっていました。



19世紀後半から20世紀にかけて
アールヌーボー、アールデコ、モダンアートと芸術の流れに沿って
様々なスタイルのアズレージョが作られていますが、
芸術的な作品は全てハンドペイントのものであり
アズレージョ作家たちは
常に絵とデザインの分野における優れた芸術的才能を要求されます。

公園や駅、教会など多くの人の目に触れる場所に取り付けられる装飾タイルは
芸術家にとって大変魅力的なものであり、
現代の画家たちもアズレージョの作品を残したいと考える人が多いそうです。

階段下のホール


階段のアズレージョ・・・ポルトガルによるセウタ攻略


階段踊り場にあるステンドグラス


大航海時代の様子を描いたアズレージョ


ホテルをぐるっと歩いて行くと
ホテルに隣接した白・黒・臙脂色の石のモザイク模様の修道院がありました。

サンタ・ド・クルス・ド・ブサコ修道院

この宮殿ホテルは
エリザベス女王とエジンバラ公の昼食会が催されたり、
2004年にスペイン皇太子の結婚式に参列するために欧州に来られた
日本の皇太子殿下も2泊されたそうです。

私達は
翌朝も散歩しましたが、霧が出ていて幻想的で、
森の中のホテルという雰囲気を味わうことができました。

次回は
マヌエル様式の装飾が美しいバターリャ修道院です。


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